なんだかこのところネガティブなトーンの話題になってしまっているようですが・・・
TOEICのスコアアップのために一生懸命勉強して、たとえ700くらいまでなんとかいっても、そこで足踏みしてしまう人々のことを「TOEIC難民」といっています。英語指導も600位を目指すことを売りにすると、「お客さん」が多く儲かるのだそうです。しかし、大量の「難民」を作り出すことを分かって「売り」にするのだそうです。
そのモジリで「医学部学士編入難民」を考えてみました。ぼつぼつ一次試験が受かっても、面接をなかなか突破できない人たちのことをイメージしています。また、模試ではそこそこの「偏差値」が出ても、一次すら合格できない人もそう呼んでもいいかもしれません。
どうしてこうなるかというと、先日話した「自虐的になれなかった」ということが一つ言えると思います。なかなかきついけれども、やはりまず今の自分の在り方を一から見直すべきでしょう。
・「受験対策」ということに終始していないか
これは様々な点で指摘でいると思います。ひとつ言えるのは、受験大学の過去問をやり、あれこれ手直しして「よりよい解答」を作ろうとする。その際に、目指すは「模範解答」。これが一番危ない。ちょっとだけ指摘するので、あとは自分で考えてください。「模範解答」は、それなりにできる人が、時間内に解答したものではなく、何度も見当して作りあげたものです。これを「模範」にしたところで、実際の試験でそんな答案が書けるほとんどいないでしょう。「自分の答案」を作る練習をすべきです。当方の指導では、「解答」を提示しするのではなく、一人一人がベストの答案が書けるように徹底的に指導しています。自分の使い慣れていない言葉を使って書こうとしてもわかりやすい答案にあることなどありえません。
・浅知恵と受験情報の収集に神経を使いすぎていないか
これはこれから行われる2次を受験する人にも参考になると思います。英文で読んだテーマ、メディアから流れてくる様々なテーマを、ただ表面的に蓄積し、「それ知っている」「こちらの文章の方がよくわかる」と言った判断を下すだけで、そのテーマについて自分で考えようとしない。なぜ考えないかというと考えてもわからないから、らしい。そもそもどんな研究も、医療に関する問題も、「分かる」などということはまずない。しかし、自分ならどこまで突き詰められるか、そこからどんな課題、疑問点を整理するか、というアプローチならできるし、それはすべきです。二次の面接やら討論にしても、「正解」などありえないのです。試験官は、不明点にどう切り込んで、それに対してどういうスタンスをとれる人物かを見ていると思うのです。英文を読むにしろ、面接などに臨むにしても、どこからか引っ張ってきた浅知恵、中途半端な情報で対処すると墓穴を掘ることになりますね。これは間違いない!
・大学別の合格者のイメージを決めてつけていないか
いろいろなところで語られているようです。○○大は、30代後半は面接でゼロ点を付けられる、○○大は看護師などの臨床経験者(絶対)取らない、などといったうわさが巷に流れています。前者は確かにそういう受験生がいたようですが、それが年齢が問題だったのかその他の点が問題だったのか、確かめた人はいないのです。医師以外の立場で医療現場に携わった人が敬遠される、というのは理由は様々にあるかもしれません。表面を取り繕っても結局医療現場への不満に医学部への志望動機の本音である場合が多々感じられます。結論を言えば、医者でも不満はありますよ、ということです。こういう場合も、自分の動機の再検討、再構築が求められます。現場の体験が主体的に活かせないはずはないのですから。
・経験を主体化しているか
志望動機に近親者の闘病体験を挙げている人も多いです。体験としては相当厳しい状況を経てきたことが想像されるのですが、その認識は真っ二つに分かれます。問題はどんな経験をしたかではなく、その経験をどれだけ主体的にとらえ、「血肉」にしているか、という点で、大きく開きが出てきてしまうのです。最悪なのは、突き詰めるのを中途半端にして、いつまでたっても情緒的な「悲しい思い出」のままにしている場合です。なぜそう状況が最悪なのかは考えてみてください。
「英語の勉強と関係ない話ばかり」と思った人は、「難民」候補。英語を読む、ということは「全人的な作業」だという認識を持つことから試行錯誤してください。
こんな点を踏まえて、「医学部学士編入難民」にならないように、「自虐的に」自分の現状をとらえなおす努力を是非今ここでやってみてください。
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