長年大学受験に関わってきましたが、最近はどうも「対策」が無意味、あるいは弊害を招くあり方が蔓延しているようにおもえてなりません。「効率のよい受験対策勉強で大学入学を勝ち取る」というのが受験生の求めるところなのでしょうか?これは受験生というよりは、その親の思いかもしれません。特にあまり勉強の経験のない親にこういう傾向は強いように思います。親がそうであることは仕方がない、と言う言い方も出来るかもしれませんが、最近はどうも学校の教師にもそう考える人が多いのではないかと危惧しています。これらに共通するのは、何事をするにも訓練が必要だということを知らないか、忘れてしまっていることです。ともに、マニュアルで仕事は事足りる、という立場の人々です。一方、専門知識を創造的に使うことを要求される人、職人のように高度な技術を身をもって体得した人であれば、訓練の大切さは実感できるでしょうし、それが試行錯誤の連続であることも理解できます。
わかった気にさせる「受験対策」:最近の受験参考書や問題集をみると、やたらに「解説」が多く、訓練させようという作りにはなってないように思われます。これはある意味、今の学校教育の反映があるのです。つまり、少ない知識に限定して、解説と解答をあたえて「効率よく理解させる」というものです。一見よさそうですが、少ない知識の丸暗記に過ぎないのです。これを少なくても公立の小学校、特に中学校でやってきたわけです(私立の場合はこの丸暗記の量が多いというだけ)。ですから、大学受験でこれを大転換するのはなかなか大変なのでしょう。そんな現状で、訓練として人気があるが「単語・熟語テスト」と「頻出文法問題テスト」がかろうじてその形を残しています。しかし、これも多くの英語を読むことや聞くこと、また書くこと話すことを訓練することと平行しておこなわなければ、弊害になるだけです。すくなくても、英文をまともに読むことなど想定外のことになってしまいます。
結論を言えば、現状は「大学受験対策」のことばだけが空回りをしてほとんど実質的な対策になってないのです。受験にでる、あるいはでた事項を勉強するというあくまで受動的な学習が結局はせっかくの受験という学習機会をうしなってしまっているわけです。
そのような現状から当スクールでは「学校のペースにあわせない」「受験を第一義にしない」という理念で指導をおこなっております。大学入試でどんな出題がされるかなどは、指導する側さえしかり把握していればいいのであって、受験生はそれほど意識しなくてよいのです。受験にそなえるのであれば、ハリーポッターでも、Natureでもいいし、もちろん学校の教科書(最近ではひどい教科書もあるが)でも使える部分はあります。入試問題も設問をはずした形で読めればいいのです。読めるようになってしまえば、単語などの意味も単語集で思えるよりも広い意味範囲で習得することができます。なぜそれをしないか。答えは簡単です。指導する側にそれができるだけの技量がないからです。塾や予備校もこれができる教師を確保できないのです。またそれを確保したとしてもそのニーズもないのだと思います。単語のテストをやる程度であれば、指導する側に「技量」などを求めなくてもいいわけです。不明な点を質問される前に「解説」や「解答」をくばってしまい分かった気持ちにさせればそれですんでしまいます。
このような現状で、当スクールは、大学受験対策というよりも大学入学対策と位置づけて、大学入学後どういう形の学問に進もうとも英語を使っても研究ができるように指導しております。高校生でも日本の大学院の原書講読に使うレベルの英語は十分読めるようになります。Web上の英語を読みこなすレベル、といった方が分かりやすいかもしれません。その基礎作りとして、ハリーポッターを、そしてNatureの記事を位置づけているのです。このブログでも再三取り上げていますので、読んでみてください。
Natureの記事は、昨年今年連続で東大の後期試験で出題されています。これも出題されるから読んでいるのではなく、興味深い記事があるから読んでいるのです。もう一昨年のことになりますが、東京都立大(現・首都大学東京)として最後の試験に当スクールで扱ったエッセイが出題されました。これも的中を予想して取り上げたのではなく、テーマとして考えたい問題だったので取り上げたまでです。
最近のコメント