確かのこの「高台」には湧水がたくさんあり、今でもいくつかの民家の庭などから水が湧き出しています。
この井戸もその一つなのでしょうが・・・
[以下の説明文でおかしいのは、「昭和30年代中ごろまでは・・・」のくだり、「南本町湧水群といわれていました」とは??? 「南本町」という町名は昭和40年4月からで、「南本町湧水群」などといわれたいたはずはないのです]
この考証はいくつか疑問点があります。この井戸も水道として使われていたのかもしれませんが、簡易水道として使われていたのは、ここより駿豆線の線路よりにあった「水神さん」と呼ばれた、もっと大きな湧水のはず(現在はマンションが建っているが、脇から湧水が噴出している)。
水が飲めない井戸を復活させる意味がどこにあるのか?
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