この数日『袴田事件』の再審関連の報道がされています。
三島でも『丸正事件』がありました。強く思い出されます。冤罪事件ということで大騒ぎになっていた当時、事件現場の近所に住んでいました。事件現場の運輸店の隣は父親の懇意にしていた家で、同級生もいたのでよくいっており、その裏から事件現場が見えました(入ったこともある)。また、一学年上の子の親が弁護側から真犯人として名指しされ、ショックを受けました。また、その運輸店の従業員のお子さんと知り合いになって、プラモデルの作り方を教わった。自宅が谷田にあって、プラモデル作りの好きなこの中学生のお兄ちゃんと仲良しになりました。そんなことでこのお店が閉店するときに中にはり、事件現場にも入りました(なぜそこが事件現場だと認識したのかはよく覚えていなし)。
時が過ぎて、「東本町幸原線問題」(現在の市役所前に道路建設問題)で活動していたころ、再審請求の支援をしていた市会議員の角田不二雄さんの家で、犯人とされた鈴木一男さんとお会いしたことがあります。すでに満期出所されていました。「私の弱さでみなさんにご厄介をおかけして・・・」ということを繰り返し言われていたことを印象深く覚えています。「私の弱さ」というのは、取り調べ段階で一度「自白」しまったことをいっているのだと思います(もう一人の季さんは一貫して否認)。
戦後は冤罪事件が実に多かったですね。ズサンな証拠で殺人犯にされてしまうことは恐ろしいです。
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